« 2010年10月 | メイン | 2010年12月 »

2010年11月 アーカイブ

新しい世代のキャリアウーマンの特徴

数年前から普及した「昇格試験制度」。


これは派遣 千葉などで働く女性にとって嬉しいことでした。


昇進・昇格における男女の「機会均等」を保証するためには、それがいちばんわかりやすいですね。


これまでにも、男女共通の昇格試験制度を設定している企業はありました。


それらの事例を見ると、特別なケースを除いて、「女性社員の受験者は少なく」「合格者はさらに少ない」という形になっています。


ですから、男女とも均等の機会を与える昇格試験制度を新設しても、「女性の昇格者が急増することはない」と予想する人事マンもいますが、この予想が当たるとは信じにくいですね。


むしろ、「機会の均等」が「結果の平等」につながらないことが問題とされ、「女性が受験をしにくい」うえに「合格しにくい」試験のシステムに、批判が集中するのではないでしょうか。


筆記試験であれば、問題の内容や採点基準など、面接試験であれば、試験官の男女別比率など、論争の材料にはこと欠かないはずです。


成り行きが注目されるところだが、いずれにせよ将来、元気よく昇格試験にチャレンジし、その難関を突破して、キャリアウーマンの道へ進む女性は、急速に増えるでしょう。


この人たちが、第一世代・第二世代の先輩たちとは異なるタイプの集団、「キャリアウーマンの第三世代」となっていくのは、確実と思われます。


その特徴は、まだ断定できませんが、とりあえず「それなりの有能さ」プラス「元気さ」というところでしょうか。

鑑真和上の人生

鑑真和上は大明寺で日本僧栄叡、普照の訪問をうけました。


彼らは明律伝戒には鑑真が中国最高の僧と狙いをつけての招請でした。


それまで留学僧として勉強を続けていたのです。


時に天平5(733)年で、鑑真は50歳でした。


招請について、仏法は日本に渡りましたが、その先生(仏法を授ける人)はいません、と額を床にすりつけてのお願いでした。


・・・すると鑑真はそのことをよく諒解しました。


「日本は仏法興隆に有縁の国。誰か行かないか?」


衆僧に訊きましたが、答えはありませんでした。


当時、東海をへて、無事日本に渡れると思う者は、殆どいないといってよかったのです。


「これは衆生済度の法事ではないか、僧たるものが、どうして身命を惜しむ?


希望者がないなら自分が行く」


・・・鑑真は断乎としていいました。


しかし唐の朝廷は、鑑真の出国を許さなかったのです。


遣唐正使、藤原清河や副使、大伴古麻呂らも、朝廷へ一件の交渉をしましたが、うまくいきませんでした。


ところが、宰相が仏法流布に理解を示し、窃に出国を許すと、21人の随行希望の弟子が現れましたが、最初の渡航計画は海賊と通じているとの密訴で逮捕騒ぎを起し、第二回、三回は風浪で駄目。


第四回は国宝的大名僧を東海の小国に送り出すとは何事と、弟子や諸寺の僧らが反対に廻って駄目。


第五回は出港したものの、大風浪にもてあそばれ、猛烈な船酔いと飢渇に苦しめられ「一生の辛苦何ぞこれより苦しからん」と悲鳴をあげたそうです。


漂流14日、海南島に辿りつき、寺に仮寓すること約1年、鑑真はここで失明し、栄叡は哀れこころざし半ばにして什れてしまったそうです。


しかし、鑑真の決意は固く、正使が弱腰であるため、副使大伴が独断で、鑑真の一統24人を二号船に乗せたので、前述の如く6回目の渡航は成功しました。


最初の招請から13年たっていました。


鑑真が万難を乗り越えて仏法と日中親善に尽した功績は偉大といわれており、その日本上陸の第一歩が「阿児奈波」であったということが、また興味ぶかいですよね。


ちなみに「阿児奈波」は"おちなは"と読み、今では沖縄ツアーで観光客などが多く訪れるあの沖縄のことです。

About

2010年11月にブログ「納豆とか甘味もの」に投稿されたすべてのエントリです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2010年10月です。

次のアーカイブは2010年12月です。

他にも多くのエントリがあります。メインページアーカイブページも見てください。

管理人のお気に入り